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中国雲南省原産のコーヒーの苗木も緊急募集!!
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第二十三回目
2010年09月03日

いよいよ今回の旅行の目的地である昆明に到着です。空港は、伊丹空港と同じくらいの規模で小奇麗です。しかし、2015年には北京・上海に次ぐ中国第3位の国際空港に変身することが計画されています。その時には、羽田や関空から直行便が運航されることが期待出来、今から楽しみです。 入国審査も意外にスムーズに行き、出口を出るといつも通りの満面の笑みでNさんが出迎えてくれました。挨拶も早々にNさんの自宅に直行。何と前回訪問時の2年前には、途中までしかなかった高速道路も貫通しており、建設中であったNさんのアパートメント(日本のマンション)も完成済でした。 8-9階建てのアパートメントが、整然と何棟もあり大きな団地を形成しています。 聞けば、1万戸あるとのこと。スケールの違いにびっくりです。 うす暗い中に、其々のゲートには門番が待機しておりセキュリティ-が保たれております。 バーを上げてもらい、敷地内をトヨタのエスティマで散策。しばらくすると、Nさんの邸宅に到着。ドアを開け部屋に入ると、30帖はありそうな広いリビング・ダイニング、大きなソファに年輪のついた粋なテーブル、大画面の液晶テレビからは、日本のダウンタウンの番組が流されています。ベランダに設置された巨大なパラボラアンテナにより、中国本土・台湾・日本の番組がすべて見ることが出来るとのこと。ここが、中国しかも雲南省の中堅都市とは思えません。皆さんの持っておられるイメージとは、大分違うと思いますので、百聞は一見にしかず一度訪問されてはいかがでしょうか? そうこうしているうちに夕食の準備も出来、まずはヘネシーのXOで乾杯。 臭く苦手な白酒でなくて良かった! テーブルの上には、所狭しとおいしそうな料理が並んでいます。Nさん手製の豚の角煮、定番のピーナッツ、山のようにトリュフがのせられたグラタン、マッタケご飯とどれも日本の料理と似通っており、おいしかったです。 NさんのスタッフのTさんが、朝から丹精込めて用意してくれたものです。代表も含め、一同大感激でした。


夜も大分更けてきたので、市内に予約しておいたホテルにチェックインすることにしました。 インターネットを通じて、市内の便利なホテルをNさんのアドバイスを無視して予約をしました。3人でしたので、スイートルーム1部屋にしてベッドを3つ用意してもらうことにしました。昆明ですので、スイートルームといっても部屋代は東京のホテルの通常の部屋代より安いです。 部屋に入るとガッカリ。 ダブルベッドとシングルのエキストラベッドが用意されていました。部屋の広さだけが目立ちます。腰痛で苦しんでいる小生としては、バネだけのエキストラベッドで2日間寝るにはきついので、Nさんにお願いをして部屋を変えてもらうことにしました。残念ながら、空いていた部屋は満足のいくのもではありませんでしたが取り敢えず眠ることが出来ました。 翌日、フロントと交渉をしましたがまったく誠意を感じられず、朝食もおいしくなかったので、Nさんが先に推薦していたアパートメントの前に最近出来たホテルに変更することにしました。 夕方、仕事を終えホテルにチェックインするとロビーの豪華さに加え別棟に日本庭園付きの温泉が付いております。 Empark Grand Hotelというホテルです。中に、日本食のレストランもあります。自分で、ネットでの写真で判断せず最初からNさんの言葉通りにしておけば良かったと大いに反省。 昆明市内と保山のコーヒー農園の様子は、次回ご報告いたします。
第二十二回目
2010年07月27日

日頃の不摂生がたたり、腰痛が再発し座ることもままならずコーヒー漫遊記も大分御無沙汰をしてしまいました。さて今回は、いよいよコーヒーチェリークラブの苗木プロジェクトの第二の候補地である中国雲南省昆明(クンミン)と保山(バオシャン)への訪問です。雲南省の省都である昆明は、総人口約800万人と大阪府と同レベルで市区地域の人口は300万人と大阪市を同じくらいのスケールです。標高1891メートルに位置し年中常春と過ごし易く、個人的には世界で5本の指の一つに数えられる雲南アラビカコーヒーの集積地です。以前は、関空よりJALの直行便があり便利でしたが廃止された為、今回はベトナムのハノイ経由昆明に入国することにしました。前回からの続きです。昆明国際空港に到着した途端、ガスマスクをした男性数人が突然機内に侵入してきましたキャビン・アテンダントも含め、我々も何事が起きたのか機内騒然。異様な雰囲気です。どうも、アテンダントの様子から当時流行していた「新型シンフルエンザ」の検査のようです。数十分間、足止めを食らいようやく解放され、一同ホットしました。鳥インフルエンザ、サ―ズ、冷凍ギョウザやほれんそうなどの農薬で問題となった国とは思えない予防行為は、信じかたいところがあります。これからの安全管理が期待できるかも知れません。ところで、今回の昆明の訪問は、主に二つの目的があります。その一つは、世界有数の高級アラビカコーヒーであるティピカ種の雲南コーヒーの苗木事業を今後どう展開するかを検討することです。もう一つは、パートナーであるNさんの家を訪問し昆明の住宅事情やインフラ整備の状況を確かめることです。中国は現在不動産バブルと言われ、北京・上海・成都など1000万人以上の主要都市は日本と比べてもマンション価格は高くなっており、とても手が出ません。昆明は、人口800万の規模の第二都市グループです。しかし、近い将来この地はミャンマ・タイ・ベトナム・インド・ベトナム・マレーシアを結ぶ一大物流拠点となることが約束されております。数年後には、杭州・上海・昆明を結ぶ新幹線が出来、ミャンマから昆明まで石油のパイプラインの設置され、2015年には昆明に中国で3番目に大きな国際空港が計画されております。前回昆明を訪れた際には、Nさんのコーヒーの精選工場に行くには高速道路が途中までしかなく、その途上にあるNさんのマンションは工事中でした。当時に購入された100m2の3LDKのマンション価格は、約500万円ということでした。それが、今どうなっているのか興味深々です。


日本では、毎日テレビを見ればクイズ番組と食べ歩きの旅行番組ばかり、政治討論では各政党のミクロベースでの揚げ足取りで危機感はまったく感じられません。その一方で、グローバリゼーションはどんどん進行し日本は世界から政治的にも経済的にも取り残されています。近い将来、アメリカは財政赤字を帳消しにすべく一方的に新札100ドル紙幣への切り替えと同時にドルの切り下げを計画していると言われています。そうなれば、為替は1ドルが90円から60-70円になり、日本の対外債権である110兆円ある外貨準備高は半分以下の価値となり、それを契機にいよいよ日本の財政破綻・国家破産が実現し、かっての韓国のようにIMFの管理下に置かれ、円の価値が大幅に下落し我々の個人資産1400兆円はあっという間に半減しかねません。皆さんや私の少ない円資産も、自己防衛をしない限り紙くずに化してしまいます。以前、内乱の続く中米のニカラグアにコーヒーを買い付けに行った際、壁が銃弾でハチの巣のようなっている一流のホテルにコーヒーを一人で飲みに行きました。何と一杯のコーヒーを飲むのにズボンの両ポケットに一杯に詰め込んだ札束が必要でした。日本も、2013-2014年には国家破産しハイパーインフレとなり同じ状況になるかもしれません。ブラジルでも、20数年前はインフレ率1000%に近く現地のコーヒー担当の日系一世のY氏は、給料を現地通貨でもらって一晩寝ると価値が下がるのですぐに何かに換金しないと大変だと言っていたのを思い出します。そこで、今回上海ほどに上昇していないと思われ今後の発展が期待される昆明のインフラと不動産状況を見てみたいと思いました。その実態は、次回報告します。
第二十一回目
2010年04月25日
前回は、1990年代初めのハノイの様子を述べました。ゲロゲロカエル・イモリ・ヤモリのホテルしかなかったハノイは現在はどうなっているのでしょう?
夜10時20分、関空より約5時間のフライトの後ハノイの空港に到着。空港は近代的で、意外にも通関はスムーズ。ゲートを出ると、頼んでいたハイヤーの運転手がプラカードを持って待っていてくれました。旅行会社の勧めで、夜遅いこともありまたタクシー料金も法外な値段を要求されることもあるとのことで、事前に手配を依頼しておきました。
泊まるホテルは、旅行会社推薦の旧市街にあり観光に便利な「メリアホテル」。11時半過ぎ、運転手が親切にチェックインの手続きをしてくれ、無事部屋に入れました。
ホテルのロビーは、大きなクリスマスツリーが飾られ広々としていて申し分なしです。
部屋はどうかというと、アジア風のシャレており窓からの景色もよく、清潔感もありその上に、テーブルには果物かごも用意されております。十数年前と比べ様変わりです。
朝の食事は、べトナム料理主体のビュフェ・スタイル。特産の生春巻きあり、香辛料の効いたコメのうどんあり、おいしいデザートも用意され期待以上でした。
夕方の昆明へのフライトまで、時間があります。しかし、世界遺産のハロン湾へ行くには時間がなかったので、旧市街を歩いて散策することにしました。オートバイの喧噪のなか、
パワーストーンの店やカフェーも多くあり、市場には得体のしれない魚や色々な種類の肉が無造作に並べられ、スニーカーの店や雑貨商と見どころ多く、あっという間に時間が経ちました。カフェテラスには、平日で9時を回っているのというのに人通りも多く、何故か女子学生がテーブルを陣取り、何かを食べて楽しく談笑をしています。
GDPでは、圧倒的に優位な日本ですが日常生活の心の豊かさ、人々の笑顔の度合いでは負けているように思えます。


歩き疲れたので、漆塗りのワインラックを身振り手振りで負けてもらいホテルに帰りました。旅の始まりでもありお腹を壊すと大変なので、食事は、ホテルで取ることにしました。オーダーは、これも特産のロブスタとベトナムのワインにしました。残念ながら、ダラット産のベトナムワインはなく、代わりにフランスワインでした。おいしかったです。 食後にケーキとベトナム産コーヒーもロビーで、時間待ちの間頂きました。 ハノイ近郊には、アラビカ種のいいコーヒーが生産されているせいか思った以上に飲んだコ-ヒ―はマイルドでおいしかったです。
日本の大手企業の工業団地の近くに、近代的なホテルが幾つも建設されております。 次回は、新市街のホテルに泊まり世界遺産のハロン湾やこれからアジアの物流拠点の一つになろうと思われるハイポン港を是非訪問したいと思います。 さてハノイを後にして、30分ぐらいのフライトで目的地である中国雲南省の昆明に到着です。キャビンアテンダントの指示で、機内から出ようとすると突然ガスマスクをした男性が数人機内に乗り込んできました。何事が起きたのか? 機内騒然です。 この続きは、次回に報告します。
第二十回目
2010年02月23日
今回は、緊急報告として昨年12月の中旬にベトナム・ハノイと中国雲南省の昆明と保山に代表と行ってきましたので、その模様をレポートします。訪問の主たる目的は、バリ・アラビカ・コーヒーの苗木プロジェクトに続く、第二弾の雲南アラビカコーヒープロジェクトの現況と今後の方針をパートナーであるNさんと打ち合わせをする事です。昆明(クンミン)には、以前は関西空港や成田空港より日本の航空会社の直行便がありましたが、いつの間にか廃止されており、今は上海まで全日空で行き国内線に乗り換えるか日本航空でベトナム北部のハノイまで行き、ベトナム航空で昆明に行く2つのルートがあります。今回は、時間的な制約と久しぶりのハノイを見たく関空よりJALにてハノイ経由昆明に行くことにしました。ベトナム旅行を得意とする旅行会社に依頼し、e-チケットも手配したある日、ふとテレビのニュースを見ていますと突然JALの再建策が取り上げられており、その方策として赤字路線の廃止。その中に、何とベトナム路線も含まれていました。早速、旅行会社に問い合わせをする不明とのことです。最悪、南部のホーチミンシティー経由か上海経由に変更すればいいかと開き直った矢先、廃止は春になるとのことでホッと胸をなでおろしました。スケジュール通り、12月中旬その日は小雪が舞い散る厳寒の日でした。ハノイの気温が30度を超え、昆明が常春とはいえ18度とのインターネットでの検索結果でしたので、薄着の一行には、関空までのリムジンバスを待つ30分の時間が長く感じました。搭乗手続きも終え、免税店でNさんや現地の友人へのサントリーのブランディを買い、定刻通りに機内に乗り込みました。(中国人へのおみやげは、高価な物ほどその人の価値を表し喜ばれます。飲み物では、ウイスキーよりブランディが好まれます。)JALとベトナム航空との共同運航便は、定刻の18:40発を少し遅れ出発。機内は、ほとんど日本人女性それも大阪のおばちゃん。3人がけのエコノミー。思った以上の広さと座席の前のモニターに感激し、少し座席を後ろに倒すとすかさずキャビン・アテンダントを通じ、後ろのおばちゃんより席を戻せとのクレーム。腰痛でリハビリ中で文句を言おうと思ったが、ここは我慢。飛行時間は、約4時間半だったものの映画のプログラムが満載であっという間にハノイに到着しました。機内サービスもよく満足でしたが、ベトナム航空の共同運航ということでアオザイのベトナム人のアテンダントにお目にかかるかと思いましたが、すべてJALのアテンダントだったのが、残念でした。


ハノイ空港に着くと、前回の訪問時とはまったく別世界でした。私が、初めてハノイを訪問したのは1992年です。当時は、まだ商社でさえも事務所もなく、ベトナム産コーヒーの生産量もアメリカ農務省の発表でも3,777袋(約226トン)です。(実際は、もっと多かった)日本向けにロブスタ・コーヒーが輸出できないかをコーヒー公団であるVinacafe No.1と交渉するための訪問です。当時、ホテルは一軒だけです。それも、池の上に建てられた物でシャワー浴びようと栓をひねると赤い泥水、寝ているとカエルの声とともに、ムカデ・やもりが天井やベッドの回りに徘徊しておりました。
政府要人もベトナム人というより中国人風で、人民服をまとい顔つきも南部のホーチミンシティーの人達とは、まったく違った風貌でした。何とか、交渉を成功すべくひなびた居酒屋での夕食は、地元料理に白酒(パイチュ)でのカンペイ。寒さを吹き飛ばすには、最適の飲み物でした。朝4時ごろ、次の訪問地に行くべくホテルを出発しクルマを走らせると、暗がりの中から何人もの女性が天秤棒を担ぎ野菜を市場へ運ぶ光景を見ました。日本の良き時代の風景です。5-10年以内は、ロブスタ・コーヒーの最大の生産国であるインドネシアを抜くだろうとの予感がしました。益々、日本向けにベトナム産コーヒーを輸出したいとの意を強くした記憶があります。(予想以上の速さで成長し、今やコーヒーの生産量はブラジルに次いで世界第二となり、100万トン以上となりました)そのゲロゲロゲロのハノイが、現在では様変わりです。その模様は、次回報告します。
第十九回目
2010年01月06日
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。12月中旬にコーヒー・チェリー・クラブのもう一つのプロジェクトである雲南アラビカコーヒーが取れる昆明(クンミン)と保山(バオシャン)に急遽行ってきました。その模様は、次回の漫遊記で報告を致します。さて、ブラジル編の続きです。今回はコーヒーの話から外れ夜の遊びの話をします。皆さん、3Cという言葉をご存知ですか?コーヒー・チェリー・クラブもそうですが、一般的には世界の三大美女の国を指します。それは、どこでしょう。おいしいコーヒーが収穫されるところとほぼ合致します。答えは、コロンビア・コスタリカ・チリです。しかし、チリはコーヒーベルトに属していない為、いいワインは取れますがコーヒー生豆は生産されておりません。その意味では、今回訪問したChina (雲南)かも知れません。一方、ブラジルの頭文字は「B」ですが3Cに負けず劣らずおいしいコーヒーと美人の宝庫です。ポルトガル・スペイン人あるいは日本人の血が混じっているからかも知れません。毎年2月のリオのカーニバルで見ると、八頭身の上に胸とおしりがボンボン、腰がくびれ、エキゾチックな顔、魅力的な瞳、すべてにおいて南国的な華やかさで圧倒されます。

仕事もある程度こなしたある日、夕食もそこそこに待望のナイトクラブに連れて行ってもらいました。サンパウロ市内を車を走らせ、とあるきらびやかなネオンサインが目を引く店に到着。店の名前は、記憶では「Liberty」(自由・開放の意味か)。店の中に入るや否や、入口から奥の階段まで数十人の美女が両側に勢揃い。一瞬、どこを見ていいのか目のやり場に困ります。取りあえず、先輩に言われ席についたもののソファにゆったりくつろぐことが出来ません。辺りを見回すと、同じようなボックス席が数多く、中央にダンスホールがあり生バンドのサンバのリズムで多くの人が踊っています。先輩は慣れたものです。落ち着いたそぶりでソファにどっかり腰をつけるやいなや白人の美女がさぁっと横に座ります。そして、私に気に入った女の子を何人でも連れてきていいよとの言葉。 先輩の命令に逆らうことはできません。

ここは、商社マンとしてのチャレンジ精神のもと、入口から順に階段の上まで総勢30-40人はいたと思われます。そこを行ったり来たりを繰り返し、私好みのチョット年上で魅惑的な女性二人を指名し席へ。席について、両隣に座ってもらったものの二人とも英語も日本語もカタコトです。こちらもポルトガル語(中南米は、スペイン語が主ですがブラジルのみ公用語はポルトガル語です)は、さっぱり。飛行機の中で覚えた、ムイト・オブリガード(ありがとう)コモエスタ(お元気ですか)ムイト・プラゼール(はじめまして)ぐらいです。会話が出来ないとひたすら酒を飲むか、タバコを吹かすかしかすることがありません。隣では、先輩が楽しんでいます。その内に、我々の様子を察知して店の人を呼んで日本語が話せる女の子に代えてくれました。何という心配り、感謝! ようやく、ホットしてリラックスも出来その後は、ダンスを踊ったり一緒に酒を飲んだりして二次会にも行き楽しい夜となりました。この時ばかりは、コミュニケーションがいかに大事か痛感をしました。サンパウロでの出来事以上の苦い経験を次のリオデジャネイロで味わいました。次回ブラジル訪問するまでに、ポルトガル語を絶対マスターするぞと心に誓いました。機会があれば、リオを含めたブラジルでのさらなる体験を書きたいと思います。一口メモ:ブラジルでの美女の見分け方(某氏に教えてもらいました)
・遠目で見るとエキゾチックで実年齢より若く見えるので、近くで見て判断すること。
・着痩せをするので大柄な女性より、小柄で華奢な子を選ぶこと。
・表の顔で判断せず、後ろ姿特に足首の細さで判断すること。
次回は、雲南コーヒー紀行を真面目に報告します。
第十八回目
2009年11月09日
先日、東京のビッグサイトで開催された「ワールド・スペシャル・コーヒー・カンファランス&エキシビション」に代表と共に行ってきました。 世界各国の生産国が多く参加しており、懐かしい顔ぶれに同窓会のようで楽しかったです。 その中でも、コスタリカのブースを訪れた時かれこれ25年ぶりの人物に会いました。 その人の名は、ピーターさんと言って昔と変わらず細身の190cmはあろうかという長身の007に出てくるような魅力ある男性です。 お互い25年ぶりといっても、パッと見て分かりました。
コーヒーの世界は、広いようで狭い世界です。お互いに、会社・立場が変わっても未だにコーヒービジネスに関わっています。 面白い世界です。 さて、話は次回からの続きです。郷土料理をタラフク堪能した後は、いよいよ初仕事です。サンパウロを後にして、コーヒー業者が多くいて、また昔のコーヒー取引所があるサントスへ向かいました。一時間余りの快適なドライブで、サントスに到着。車のドアを開け外に出ると、暑いこと。湿度も高く、じっとしていても汗ばむ状態です。サントスは、港町で大半のコーヒーはこの港から日本を含め、世界に輸出されます。 その為か、喫茶店のメニューにはブラジル産のコーヒーを「サントス」と表示がされます。 狭い路地を歩き、取引先のオフィスに到着。
自己紹介・ミーティングも終え、コーヒーの品質を見分ける上で最も重要なカップテストに同席させてもらいました。 テスティング・ルームには、回転式の丸いテーブルがあり所狭しとその上にカップが並んでおります。見ていると日本の匠と同様に、完璧な徒弟制度そのものです。 お湯を沸かす人、プロバット社のサンプル・ロースターで細長いさしで焙煎度合いをチェックする人、グラスにお湯を注ぐ若者、其々が分担作業で準備が進められます。 準備が完了すると、威厳のある「クラシフィカドール」と言われるワインのソムリエに相当するコーヒー鑑定士のお出ましです。おもむろに座り、各グラスの香りをチェックします。 その間、弟子たちは直立不動で鑑定士の一挙一足を凝視してその技術を盗もうとしているようでした。
鑑定士は、30以上あるグラスを次々に香りをかぎ何か異常のあるものは、少しカップをずらして後で分かるようにします。 その後、弟子が大きなスプーンで表面のコーヒーかすを取り除きます。鑑定士は、自分専用のスプーンでグラスの中をかき混ぜスプーンに付いたアロマをチェックします。 数分が経ち、熱さも程良くなるといよいよカップテストに移ります。 スプーン一杯に入れたコーヒーを口の中に運びます。口に入れると同時に噴霧器みたいに口いっぱいに霧を吹かせます。その際、何とも言えない心地よさの「ピュ―――」という芸術的な音が鳴ります。これは、リオ臭でノー、これは、リオイ臭、これは、ソフトでOKと次々チェックして行きます。(注:ブラジルでは、味の格付けを主に7段階に分けます。

第十七回目
2009年9月16日
ニューヨークでエキサイティングな数時間を過ごした後、初めてのコーヒー生産地の訪問しかも世界のコーヒー豆生産量の1/3以上を占め、サンバの王国であるブラジルへ。 ジョン・F・ケネディー空港から一路ブラジルの最大の商業都市であるサンパウロへ向け出発。夜中便にもかかわらず満員、長時間のフライトも酒飲み放題ならば、苦になりませんあっという間に到着。
空港には、私と同世代と思われる現地スタッフのY氏が笑顔で出迎えてくれました。 NYの到着時の手荒い歓迎とは大違いです。聞けば、Y氏は広島出身で家族と共にブラジルへ夢を求めて来られた日系一世とのことで、流暢な日本語と人柄の良さが感じられる好青年です。コーヒー生豆の取り扱いを実質一人で担当し、日本への販売の窓口となっておりました。
当時の会社でのブラジルコーヒー豆の取扱いは、綿花関係で取引きのある会社がコーヒー豆も取り扱っている関係で、ほぼその一社から独占的に買付けをしている状態でした。一方で、自社グループで良質のコーヒー豆の主要生産地である南ミナス州のアラシャという地区にコーヒー農園を所有しておりました。
農薬を販売する関連会社が農業研究の目的の為に所有しているとのことです。そのコーヒー農園で収穫されたコーヒー生豆は、輸出することなく国内業者に安く販売しているとのY氏の説明でした。
現地ブラジル法人の本社が所在するサンパウロに到着して、すぐに会社に出社しエライさんへの挨拶をすませた後、今後のスケジュールの打ち合わせです。 サンパウロ・サントス・コーヒー産地、リオ・デ・ジャネイロを含め、3週間程の滞在日程です。(期待と不安との葛藤です) サンパウロの本社は、交通量の多い町の中心街に所在し、ガラス窓越しに御茶ノ水橋という名の橋があり、その向こう側は治安が悪いと教えられました。
今では、当時治安の良かった日本人町も危険地帯の一つと言われ、本当にいい時代に初めての出張を経験させてもらいました。いつもラッキーです。 取り急ぎの打ち合わせと、人の紹介を受けた後楽しみのランチタイム、昼の料理はもちろんブラジル料理を希望。事務所を出ると昼時のせいか車の往来の多さと渋滞にビックリ。
ガソリン車に加えエタノール車が多く走っています。今やバイオエネルギーとして世界的に注目をされているエタノール車。ブラジルは、当時から政府が補助金を出してサトウキビから作られるエタノールを燃料とする車を奨励しているとの事でした。
30年以上の前から実施しているブラジル政府の先見の明に驚かされます。カンパニーカーに乗り込み近くにあるシュラスコの店に連れて行ってもらいました。シュラスコとはブラジル料理の代名詞とも言われる肉料理で主に牛肉の各部位を串刺しにしてローストビーフのごとく焼いて、それを料理人が薄く切ってくれるものです。日本では一度食べたことはありましたがそのスケールといいおいしさは格段の差です。
これにサトウキビの搾り汁から作られる「ビンガ」という強烈なスピリッツ。サイドテーブルに豆料理のフェイジョアーダをつけて最高。来て良かったなぁ~との第一印象でした。
第十六回目
2009年6月29日
ようやく駐在員の先輩に、ケネディ空港でピック・アップをしてもらい一路マンハッタンを目指し、今は瀕死寸前のアメ車に乗りこみました。車は、ツードアのモンテカルロ。1980年代のアメリカは、車と共に我々世代の憧れです。一昨日亡くなったマイケル・ジャクソンは、私の永遠のアイドルであり、後にニューヨークの駐在員になった折、週末ペンシルベニアのノールという結婚式が行われる地元では名門のゴルフコースのメンバーに友人と共同でなり、そこに到着するまでのドライブの友はマイケルのスリラー・ビート・イットが入ったカセットテープでした。
車は快適に、マンハッタン島の摩天楼を左に見てジョージ・ワシントン・ブリッジを渡り約一時間でニュージャージー州テナフライという森で囲まれた閑静な住宅街の中にある宿泊予定のホテルに到着しました。2-3階建てのこじんまりとしたクリントン・インというホテルです。休日ということもあり、モール・百貨店も閑散としてのんびりとした出張初日を過ごしました。
翌日は、フランク・シナトラが下積み時代に歌っていたバーがあるマンハッタン島ダウンタウン対岸に位置するホーボーケンまで車で行き、そこでパス・トレインというハドソン川の下を通っている地下鉄に乗り換え、ニュ-ヨーク本社がある第二ワールド・トレード・センターに出社をしました。
地下鉄の中は満員の上、早口の英語が飛び交っています。まったく、聞き取れません。押し出されるように電車を降り、歩くも通勤人の歩く速度の速いこと。東京以上です。
観光客そのもので地下にある店・店・店どれを見てもわくわくします。しかし、ゆっくりは、見れません。
出勤する人の邪魔ものです。何人にも肩が当たりましたが、皆ジェントルマンなのか
取り敢えずは、「Excuse me」とは言います。ようやく事務所がある40階に到着をしました。窓から見る景色は、最高でした。9・11のテロでWTCが呆気なく消滅したのは、未だに残念です。
ニューヨークでは、数日過ごしました。コーヒートレーダーを何社も訪問し、ウオール街にある株式取引所でブルとベアのネクタイを買ったりしたり、夜はヴィレッジ・バンガードといった所に行きジャズを聴いたり、夢のような時を過ごしました。

因みに、ブルは牛を象徴し攻撃するときに下から上に突きあげるので相場の上昇を意味します。一方、ベアは弱気相場の象徴としてクマが敵を襲う時に上から覆いかぶさることから、右肩下がりの相場下落を意味します。ケネディ空港では、どうなるかと思った初めての出張も幸先よいスタートを切ることが出来ました。(英会話を除く)いよいよ本番のブラジルです。夜中に出て、サンパウロに向かうことになりました。
第十五回目
2009年5月18日

今回のコーヒー漫遊記は、初めての海外出張について書きたいと思います。その前に、ビッグニュースです。第一回漫遊記の2008年1月段階では、まったく見込みのかった我が家のコーヒーの木に、何と真っ赤な実が付きました。赤い実が2粒、青い実が8粒の計10粒の大収穫です。10粒が赤くなるのを待って、産地と同様に摘み取り精選をして飲むのがいいのか?それとも、実の外皮を取って10粒の実から20粒のコーヒー生豆を取り、鉢植えを行って増やした方がいいのか?迷う所です。どの産地のコーヒーか忘れましたので、一度飲んでみたい気もしますが、今回は、3Cメンバーの皆さんで希望される方があれば、送りたいと思っています。無事、完熟することを期待します。
さて、軽井沢でテニスを堪能した後渋滞を口実に一日ずる休みをした罰か、翌日よりコーヒー生豆の輸入・国内販売をすることになったことは、第八回の漫遊記に書きました。商社マンとして、毎月、前任者の実績の売上一億円がノルマです。コーヒーのコの字の知らないものがノルマを達成することは、至難の業です。担当一人とアシスタントの女の子の2名で、毎月、悪戦苦闘です。
月末を迎えたかと思うと翌月初めで、また一からノルマが両肩に重く乗ってきます。ソウコウして3か月経った頃です。上司より、突然、海外出張の命令です。それも地球の裏側のブラジルへの出張です。期間も一カ月近くです。ブラジルは、コーヒーの生産国としては最大で世界の総生産量の約1/3を占めています。
不安と期待を胸に大阪国際空港を飛び立ちました。飛び立ったと同時にいつ帰って来られるのかと窓からの眼下の景色を見て思いました。しかし、それも30分も経つとアテンダントが飲み物のサービスに来た時に吹っ飛んでしまいました。ビジネスクラスです。飲み放題です。取りあえず、ジントニックから始まり、白ワイン、食事の時には赤ワイン、食後にリキュールと、フル・ラウンドです。
13-14時間のニューヨークまでのフライとなど何のその。あっという間に、ニューヨーク・ジョン・F・ケネディ空港に到着です。着いたのが土曜日。ビジネスクラスのせいか、入国手続きもスムーズに行きゲートを出ました。空港は、休日で比較的のんびりとしています。ところが、どこを見渡しても迎えのコーヒー担当の駐在員の姿が見えません。10分経ち30分経ちました。駐在員に電話をしようとしましたが、掛け方がわかりません。まして、今みたいに携帯電話がありませんので家に掛けても意味がありません。
その上に、迎えに来てもらえることを確信していたのでホテルの名前はわかりますが、電話番号は知りません。どうにか、人に電話の掛け方を教えてもらい、何回かトライをしましたが、応答なしです。その中に、何人も小生の所作をチェックしていたらしい見ず知らずの人が、Are you Mr. Sato or Suzuki?
とか言って近づいて来ました。
その中に、小生の名前を言って、友達に頼まれ、お前を迎えに来た。車を向こうに待たせているので行こうと強引に小生のトランクを取ろうとした者もおり、どうにか振り切ったものの前途多難なアメリカへの第一歩となりました。
一時間以上経過して、ようやく先輩でもあり前任者でもある駐在員が何事もなかったように、来ました。どうやら、気も試しをされたようです。この続きは、次回に。
第十四回目
2009年4月03日
今回は、ハリムさんが栽培・精選する3C クラブの バリ-キンタマーニ・ハイランド・コーヒーが何故、貴重で幻のコーヒーの一つと云われるのでしょう?その所以を詳しく検証してみることにしましょう。

- 1.希少価値
その一:コーヒー品種の原点といえるティピカ種であること。コーヒーの品種は、大きく分けて2種類があり酸味・マイルドさを主体にしたアラビカ種と苦味・コクを主にしたロブスタ種があります。世界の生産量の70%はアラビカ・コーヒーです。アラビカ・コーヒーの種類としてはインドネシアだけでも20種類以上あります。生産効率の良くするためにロブスタ種のコーヒーとの交配が盛んに行われ、それに伴い、年々、効率の悪いコーヒー品種の原点といわれるティピカ種・ブルボン種がほとんど、栽培されなくなりました。
その二:年簡1,000-2,000トンしか獲れない
インドネシアでは、アラビカ種のコーヒーとして北スマトラ島のマンデリンと南スラウシ島のトラジャが有名です。しかし、日本人が好むマンダリン・コーヒーをみても、生産地域も曖昧で、サプライヤーによっては色々な地域のものを混ぜたりして、味にバラツキがあります。輸出量は、バリのコーヒーと比べようが無いほど多く輸出されます。
- 2.環境に配慮・有機栽培
バリのコ-ヒーの生産者は、ビンズー教徒が多く「Tri Hita Karana」というヒンズー教の哲学を基本とした昔ながらの栽培方式に則りコーヒーの栽培をします。これは、幸せになるには、3つの要因があると信じられています。一つ目は神とのつながり、二つ目は、他人との関係、三つ目は、環境との関係を大事にしなければならないという教えです。従い、バリコーヒーの栽培には、一切の農薬が禁止され有機栽培がなされています。
ハリムさんのコーヒー農園も、栽培・精選作業に使用される水はリサイクルされ、きれいな水が最終的に川に流されます。収穫されるコ-ヒーチェリーも赤く熟成したコーヒー豆だけを手摘みされます。肥料も天然の草を食べて育った牛の糞や脱穀したコーヒーの皮を主にしております。近年問題になっているとうもろこし・抗生物質を混合した配合飼料で育てた牛の糞を利用して有機栽培と称するケースとは違い、身体にやさしい有機コーヒーとも言えます。
3.理想的な栽培条件
コーヒーベルトの中にあり、標高が1,000-1,500mの間で栽培され、日照時間・雨量も含め、気候風土に恵まれております。近年では、日よけとして、コーヒーの木の間にオレンジが植えられ、副収入と味のマイルドさをつけるのに利用されております。
4.オンリーワンのコーヒー
コーヒーチェリークラブを通じ購入して頂いたバリ・コーヒーの苗木は各々個人が所有するものであり、毎年「My Tree」から収穫されるコーヒ-豆は世界で一つだけのコーヒーとして、そのコーヒーを一人でまた友人・家族と飲むひと時はこれ以上の至福はないと言えましょう。
こ次回は、堅い話が続きましたのでブラジルでの少し柔らかい話をしたいと思います。
第十三回目
2009年2月23日
今回はいよいよ幻のコーヒーの品種といわれるティピカ種のバリ・アラビカ・コーヒーが精選される工場の視察報告です。
10数匹のバリ犬の手荒い歓迎を受け、一行はメンガニ精選工場に到着しました。標高が998メートルあるせいか、ひんやりします。
ハリムさんの計らいで、精選工場・パティオ(庭)・コーヒー農園を紹介するビデオを流し、訪問客用のオープン・スペースには、ちまき風のもちや色々なインドネシア特産の食材が用意されておりました。当然、バリコーヒーも。一行、すでに風光明媚なレストランで軽食を済ませていたものの、別腹で結構な量を詰め込み、フォアグラ状態です。

一般的に、バリアラビカといった高級豆は水洗処理がなされます。
その工程を簡単に説明しますと、真っ赤に熟したチェリーを貯水した水槽に入れます。次に果肉除去をパルパーマシンで行い、ヌルヌルしたパーチメントコーヒーの選別を行った後、発酵層で発酵処理がなされます。
ブラジルの大半のコーヒーのように、非水洗処理で天日乾燥されたコーヒーはコーヒー生豆の表面のシルバー・スキンが付着し、これが苦味の主因となり、天日乾燥によりボディがあるものの、日本人の好きなマイルドさに欠けます。
その苦味を除きマイルドにするために、水洗と発酵処理が行われます。
発酵処理されたパーチメントコ-ヒー生豆は、上から下への水槽で水洗いされます。一日数百円の労賃の従業員が数人で、ところてんの押し棒のように、コーヒー生豆が万遍なく流れていく昔ながらの手作業で行います。精選過程の最後は、下へ流されてきたパーチメントコーヒーをパティオに移し、天日乾燥がなされます。

ここで、いいコーヒー生豆が誕生するにはいくつかの条件が必要です。
それは、まず赤く熟した実のみであること。水洗処理に使われる水が良質であること(腐った水は、味に大敵です)。パティオでの天日乾燥の際は、こまめにパーチメントコーヒーをかき混ぜます。天日乾燥は雨よけが重要なので、雨が降れば直ぐにテントをかぶせます。天候にもよりますが、一週間以上数人の労働者により一日中行われます。もし、雨が続けば工場内のドライヤーを使って機械的に乾燥が行われます。
この農園では、水洗処理に使われている水を、4つの池で浄化され循環された後、川にきれいな水として流します。また、コーヒーの肥料も有機肥料で農薬は使用されません。

ハリムさんの農園では、牛を飼っており農園内の雑草を飼料に牛糞をコーヒーの肥料に使用する、正にエコロジーがなされています。
それに、労働者の昔ながらの手作りが加わり幻のバリのコーヒーが誕生します。
メンバーから頂いた苗木並びに維持費の半分は、パートナーであるハリムさんに支払われます。我々コーヒー・チェリー・クラブの希望は、このエコロジーで栽培された手作りのおそらく世界で十本の指の中の一つと思うおいしいコーヒーを会員様それぞれの所有の苗木から出来たものを飲んで頂き、毎年味が微妙に違うコーヒーの出来具合を楽しみにしていただくと共に、現地の労働者の雇用・賃金のアップに少しでも貢献できればと考えております。
次回は、もう少しバリアラビカの視察の状況と今後のプロジェクトのお話をしたいと思います。
第十二回目
2009年1月30日
前回は、横道にそれてしまい「ケチャック」のお話をしました。
今回から、元に戻しバリ・アラビカ・コーヒー農園の訪問記です。
幻のコーヒーが栽培されている農園は、キンタマーニ高原の中腹に位置し、標高約1,000メートルのところにあります。私達が泊まった海沿いのホテルから車で約一時間半の所です。
雑踏の市街地を抜け出し、いよいよ農園に近づくと検問所があり、まず通行税を取られます。幸い、パートナーであるハリムさんはコーヒー精選工場の経営者なので通行税は必要ありませんでした。観光バスでのツーリストは徴収されるようです。
ゲートを抜けるとすぐ高台に洒落たレストランがあります。トイレ休憩の為にレストランに入るとその眺望のすばらしいこと。正面には、バツール山(標高1,717m)のふもとに雄大なキンタマーニ高原が広がり、眼下には、青みがかった湖面の美しいバツール湖が一望に見えます。そのパノラマは、絵才の無い小生には何ともし難い風景です。
取りあえず、デジカメで撮影。
日差しが強くサングラスが要りますが、気温は涼しく7月というのに肌寒いくらいです。

あまり気持ちが良かったので、一行方針変更。ビールを一杯飲むことにしました。星という名の「ビンタン・ビール」とインドネシア料理の定番のサテ(焼き鳥)、てんぷらを肴に一同大満足です。
いい気分でレストランを出ると、数人のT-シャツの売り子による出迎えです。
10枚で1,000円、安い!お土産にピッタリと思いましたが、皆の反対で断念。その途端、12枚で1,000円、次に15枚で1,000円といわれる有様。
最後は、20枚で1,000円になるのかな?
結局、売り子たちの手を振り払い一路コーヒー農園に向かうことになりました。
その後、走ること10-15分でバリ・アラビカ・コーヒーを作っている一番大きな農園主のプランテーションに着きました。ブラジル・コロンビアの農園とは違って、いかにも手作りの小規模な野生的な農園です。コーヒーの木の間には、オレンジが植えられシェイド・ツリー(日よけ)としてのバナナの樹が目立ちます。
すでに収穫時期がスタートしているので、赤いチェリーが当たり一面に見ることが出来ます。一行の大半は、コーヒーの木、白い花、赤い実、青い実を見るのは初めてです。一同、感激。(赤い実を食べてみると甘い味がします)


この農園を後にして、いよいよハリムさんの精選工場ならびに工場の敷地内にあるコーヒー農園の訪問です。
工場へ向かう途中には、コーヒーの栽培の他にいたる所でオレンジの農園を見かけます。コーヒー栽培より、実入りのいいオレンジに転作する農家が多いとのことです。いつかは、3Cプロジェクトに共鳴していただけるメンバーが増え、苗木を一本でも多く購入していただき当たり一面をコーヒー農園にしたいものです。
しばらくすると、精選工場に到着です。日本語で書かれた看板と10匹近くのバリ犬のお出迎えです。
次回は、幻のバリ・アラビカ・コーヒーが出来るまでを報告します。
第十一回目
2008年12月26日
今回のコーヒー漫遊記は、少し横道にそれたお話をします。
先日何気なくテレビを見ていましたら、世界不思議発見でバリ島の特集をしていました。残念ながら、バリコーヒーについてはまったく紹介がありませんでしたが、バリダンスとならんで人気のある「ケチャク」についての生い立ち、ストーリーを詳しく取材されていました。
興味深く見ていましたところ、メンバーの方からも放送の連絡を受けうれしい限りです。
そこで、今回は我々が見たケチャクについてお話をしてみたいと思います。
テレビではウブド地区を紹介していましたが、所はホテルからほど近い海岸沿いにある寺院の敷地内で行われ、今最も人気があるケチャクです。始まるのは、夕日が沈み寺院を照らして幻想的な雰囲気をかもし出す夕方5時頃より行われます。
ハリムさん一家の3台の車にそれぞれ分乗して一路寺院へ。道路は、一本道で通常一時間以内で行けるところが長蛇の列です。観光バス、乗用車、オートバイあり、と多種多様な交通手段で寺院へ向かいます。
着くと、駐車場はすでにいっぱい。そして入り口では人、人、人。そこで強制的に、女性はバティックのスカート風、男性はバンダナを腰に。有料ですが雰囲気が出ます。

我々一行が断崖沿いの狭い道を歩いていると、夕日が逆光になる城壁の塀沿いに、野生の猿がそれぞれ寝そべっているではありませんか?
その中でも一際ふてぶてしいメタボ猿が腹を出して寝そべっておりました。我々一行が駐車場を探しに行ったハリムさんを待っていると、一人のメガネをあのメタボ猿がひったくり逃げました!その素早いこと!
それからメガネを口に入れしゃぶりだしました。取ろうとすると、攻撃をしてきます。
とその時、係員がメタボ猿の前にバナナをちらつかせました。メタボ君がバナナを取ろうとした瞬間、係の人がメガネを無事取り戻してくれました。
唾液にまみれた感じはありましたが、無事取り返せて、一行ホッとしました。
そうこうしている内に、日もすっかり暮れケチャクの本番です。超満員です。
ストーリーは、世界不思議発見で紹介のありました、インドの「ラーマ・ヤナ」の物語です。数十人の腰巻をつけ、上半身裸の男性が口々に祈りを唱えます。何を言っているのかよくわかりませんが、どうも「ケチャ・ケチャかウサ・ウサ」と言っているようです。
何となく、ユーモラスの中にも力強さと敬虔さがあり一辺に好きになりました。

かわいい民族衣装の女性が出てきたり、悪魔の大男が出てきたり暗闇の中でのダンスショウは最高です。
その中でも、人質となった姫を救おうとする白い猿の活躍風景は圧巻です。
ところが、最高潮に差し掛かり白い猿が地面のタイマツを蹴った瞬間、その火の粉が初老の観客のTシャツに!楽屋裏は大変な騒ぎでした。少しやけどをした模様です。
一方、会場はクライマックスの最中です。表舞台は、全く問題なくやんや・やんやの喝采のうちに終了でした。一同大満足の一日でした
次回は、ビンタン・ビールの飲みながらのラツール湖の眺望の素晴らしさと、いよいよバリ・アラビカ農園の訪問の様子を報告します。
第十回目
2008年11月14日
バリ島訪問日記の2日目です。
昨夜は、2時ごろ就寝したものの部屋のクーラーが効きすぎたのか、興奮のせいかハタマタ年のせいか、朝の7時には目が覚めてしまいました。
隣の代表は、就寝中です。そっとベッドから下り、テラスに出てみました。
鳥のさえずりと海からの風が爽やかそのもの。日本の方が余程蒸し暑かったので、最高の気分です。3階の部屋から、景色を見れば緑の芝生と真っ赤なブーゲンビリアの花のコントラストがまぶしく、サスガ南国情緒をカモシダシテイマス。下を見ると今回参加していただいたメンバーのご夫婦が早々と散歩をされていました。ハリムさんには、10時に迎えに来てもらうことにしていましたので、ゆっくりと朝食を取ることにしました。
ホテルのロビーは4階にあり、朝のレストランはロビーから2階分ほど下りた 所にあります。階段の両側には小さな滝があり、その周りを色とりどりの原色の花が咲いていて、早速の記念撮影に打ってつけでした。
朝食はバイキング・スタイルです。案内書の前では、2人のかわいい女の子がバリダンスを踊ってくれています。またまた、デジカメでワンショット!
奥のいい場所にテーブルをとってもらい、一同座るのも早々に各コーナーへ。インドネシア料理のサテ(焼き鳥)・ナシゴレン(焼き飯)を始めとして、中華・日本食・パンと何でもありです。
どれもこれも、おいしそうで迷った挙げ句、取りあえずオムレツコーナーに行きました。昔覚えたインドネシア語と英語を交えた料理人とのチリが多い少ないといったチョットした会話は楽しいものです。各人がそれぞれの料理を手にして席に着きました。テーブルには、小鳩ぐらいの鳥の先客がいます。横の小川には、鯉が泳いでいるといったのどかな朝のひと時で、日本の喧騒を忘れさせてくれます。
朝食後、ホテルの中にあるショップを見たりしているうちに待ち合わせの時間が迫りあわてて部屋に戻り、本日の目的であるバリアラビカコーヒーの農園を訪問に向け、その支度にかかりました。
時間通りの10時に、ハリムさん一家が迎えに来てくれました。バンとトヨタのRVに分かれ、一路キンタマーニ高原にあるコーヒー農園を目指し、出発です。
農園に到着するには、南から北へ島を縦断することになり約2-3時間のドライブです。
ホテルより、市中を抜けるには信号待ちの渋滞もあり小一時間以上かかります。車中打ち合わせをしたり、街中の至る所にある寺院を見たり、どれも珍しく飽きることがありません。あっという間に、休憩場所のキンタマーニ高原の頂上近くにあるレストハウスに到着です。標高は1,500-1,600メートルあり、少し寒いぐらいですが、その眺めのすばらしいこと。トイレ休憩のつもりでしたが、ビンタン・ビールと昼食を取ることにしました。その時の景色は、次回に掲載したいと思います。
第九回目
2008年10月14日
7月のバリ島の訪問から、随分と日にちが経ってしまいました。公私共にバタバタし読者の皆さんにはご無沙汰をしております。いよいよ、バリ島到着からの訪問日記を始めます。
6時間の長旅のあと、23時半頃、デンパサールの空港に降り立ちました。思ったほどの蒸し暑さはなく、むしろ爽やかな風が心地よく快適でした。空港は、夜中だというのに人が多いのにびっくり!
到着ロビーには、ハリムさん一家がにこやかな笑顔で待ってくれていました。ハリムさんとは、1年ぶりの再会です。インドネシア・シニアのバスケットの代表で、今も現役でバリバリとプレイをしているせいか、精悍そのものです。スタイルは、20年前会った時から変わっていません。(注:この2月で還暦になったとの事。私とえらい違いです)
3Cの6名のメンバーは、それぞれにハリムさんの車、旅行会社が手配してくれた送迎バスに分乗し、一路薄暗い道をホテルに向かいました。滞在ホテルは、今後メンバーの皆様をお連れすることを考え、エステ・サービスで人気の「リッツ・カールトン・バリ」に致しました。
バスは、海岸沿いのカーブを快適に進んでいたかと思うと、薄明かりの先に、”いぬまたいぬ”犬犬犬!!至る所に首輪のない犬!がいます。日本の柴犬みたいな犬で、吠えるのではなく、うろうろしたり寝そべったりと、さすが犬も南国風で優雅なものです。
後から聞くと、島特有のバリ犬でほとんどが飼い犬とのことでした。車中、流暢なガイドの現地の人から現地の状況・観光スポットなどを聞き、あっという間にホテルに到着しました。到着すると同時に、ホテルの人のにこやかな白いレイの出迎え。チェックインの際には、ガヴァのような飲み物のサービス。それほど、甘くもなくほどよいのど越しで、一行大満足でした。
さて、ようやく部屋に入りました。時間も夜中の1時を回っています。我々家族は、男性軍・女性軍にわかれて泊まることにしました。
ここで、うれしいハプニング!!
男性の部屋は、通常のツインベッドの部屋、小さなテラス付で悪くありません。しかし、女性の部屋はリビング付きのトイレが二つもあるスイートで、しかもベッドはクレオパトラが寝ていたような、白いベール付きのお姫様ベッドです。浴槽には赤いバラの花びらが浮かんでいます。ルームチャージは一緒です。ラッキー!
当然、その部屋はその後も女性軍が占領することになりました。2時ごろ就寝。
第八回目
2008年8月20日
今回のコーヒー漫遊記は、バリ島の3Cコーヒー農園訪問の報告です。 7月中旬のうだるような暑い日、学校も夏休みとあり関西新空港はいつもより若い人で賑わっておりました。バリ島の首都であるデンパサールまでの直行便は、JALとガルーダがあります。今回は、マイレージバンクの特典と安全性を考慮し、JALにて行くことにしました。
出発の時間は、夕方の5時30分です。最低2時間前の集合ゆえ、まだ灼熱の太陽で、自然に汗がほとばしる3時頃、空港に到着しました。 無事、出国手続きを済ませ有り余る時間を土産物屋、本屋、ドラック・ストアとほとんどの空港内の店で過ごした後、手荷物検査場に向かいました。 テロ対策として液体の持込が厳しいと事前に聞いておりましたので、ペット・ボトルのお茶はあわてて飲みきり、手荷物を基準内の液量にして安心をしておりました。
ところが、どうした訳か手荷物検査で引っ掛かりました。何で?
検査官が冷めた声で言います。「手荷物の中にクリームがありませんか?」と。エ!クリーム?何のことがさっぱりわかりません。 思い当たるところもなく、また何故クリームが問題になるのか・・・。指示されるままに、カバンを開けてみると洗顔クリームが入っていました。 いつもの国内出張では、ホテルに備わっている小さな洗顔石鹸を使用していましたが、なくなってしまったので前日、マツモトキヨシで昔懐かしい白子・黒子さんのチューブ式の洗顔クリームを買って入れておいたのです。
「これは、130mlありますので没収します」と、検査官の無情なる一言。知らなかった、何とかならないかとの願いもむなしく、取り上げられました。(代表は、さすがに旅慣れているせいかゴルフバッグに流行りのクリームを入れており、難を逃れたよし)
どうにか、出国手続きを無事終え、ハリムさんへの土産のサントリーのブランディーを免税店で買い求め(何故か、中国人はウイスキーよりブランディーを好みます)、3Cのメンバーのご夫婦とも関空の出発ロビーで合流し、いざ出陣!!
記念撮影をしようとデジカメを取り出すと、初期設定が出来ておりません。ケチって、メモリー・カードのデータを消す際、設定も解除したらしい。どうにか、娘に設定をしてもらい無事撮影会を終了。少し出発時間は遅れたものの、機内に搭乗できました。
機内は、若い女性連れがほとんどでした。さあ、これから6時間、楽しい旅の始まりです。現地夜中に到着の様子は次回にレポートします。
第七回目
2008年6月27日
前回、フル・オーケストラで「昴」を歌うことになったお話をしました。今回はその続編です。
歌詞カードには、日本語の発音に近い言葉がローマ字で歌詞が書かれており、全くと言って良いほど読めません。しかし、歌い出しは、覚えておりますので問題ありませんでした。
快調なすべり出し。しかし、だんだん歌詞が出てこなくなり、歌詞カードを見ても訳がわからず、さらにコンガラカッテしまいました。頭の中は、パニック状態です。この時ほど、人間の記憶のあいまいさを身にしみて体感したことはありませんでした。
どうにか、「最後の昴よ!」を熱唱するフレーズにたどり着いたときは、タオルで絞れるくらいの冷や汗ものでした。 席に戻ると、シッパーはもとより周りの人に拍手をしてもらったので、ホっとしました。もう二度と人前で歌いたくないと思いましたが、後日同じくスラバヤの違う場所で歌いました。(関西では、これをアホといいます)
この経験を生かして、その後は持ち歌数曲の歌詞を手帳に写し、常に緊急事態に備え持ち歩くことにしました。 今は懐かしいよき時代のスラバヤでの経験です。
さて、いよいよ3Cプロジェクトのメイン・テーマであるバリ島のコーヒーの話です。 来月の7月中旬にCoffee-Cherry-Clubの代表を始めとし、今回メンバーになって頂いたご夫婦を含めた総勢7名で、バリ島のキンタマーニ高原にあるコーヒー農園を訪問します。各メンバーさんのコーヒー苗木の生育状況、観光名所、ゴルフレッスンの様子など、現地の詳しい情報は次回ご報告したいと思います。
ここで、バリ島の一口メモ。
バリ島は、インドネシア屈指のリゾート地としてバリ舞踊が有名です。テレビでお馴染みの「ケチャックダンス」や「レゴンダンス」は、人気があるようです。スラバヤの隣にありながら文化・宗教はかなり異なり、イスラム教徒が大半のインドネシアで、唯一敬虔なヒンドゥー教徒が90%を占めると云われています。「タナロット寺院」を始めとして荘厳な寺院も多いことより「神々の棲む島」とか「地上の楽園」といわれる由縁かもしれません。
スラバヤと違い、バツール山 (1717m) を代表として良質のアラビカ・コーヒー栽培に適した立地条件も兼ね揃えています。そこで取れるコーヒーは、適度な酸味と甘さを持った最高級のものの一つです。 コーヒーの苗木が育つまで、試供品としてメンバーさんにお届けした焙煎豆を飲んでいただいた印象を伺うに、今までこんなおいしい珈琲を飲んだことないとの評価を頂いております。
詳しくは、次回現地レポートを。乞うご期待!
第六回目
2008年6月09日
前回、インドネシア産のコーヒーとのなれそめについてお話をしました。今回はハリムさんがバリ島でコーヒーの苗木の栽培を始めた理由についてです。
スラバヤは、インドネシアの中でも2番目に大きい都市で、首都ジャカルタより飛行機で1時間ほど離れたところにあります。お隣は、観光地のバリ島です。ロブスタコーヒーの栽培のほかに海老の養殖が盛んで、大半は日本に輸出されていました。
港町でリゾートとして俗に丘・山といわれるところはありますが、標高そのものは海抜50メートルとほぼ低地にあります。街中は常に蒸し暑く、当時は一端スコールが来るとほんの10分ほどで道路が洪水となる有様でした。高い山がありませんので、上質のアラビカコーヒーの栽培にはまったく適しません。
ロブスタコーヒーの栽培もを行っているのも小農家が多く、収穫量も少ないため、大手の輸出業者は、パレンバン州やランポン州といったところをメインにしています。(その代わり、輸出業者は華僑が中心で大変仲がよく、ある時アメリカ人と二人で現地を訪れ、あるシッパーと4人で食事をすることになりましたが、あれよあれよという間に、30人以上集まりそのレストランを貸切り状態となったことがありました。)
この様な理由から、ハリムさんは観光地で名高いお隣のバリ島に幻のアラビカコーヒーの苗木を植えることにしたのです。
余談ですが、小生にとってスラバヤは、非常に思い出深い土地です。ここでは色々な事を体験しました。日本では平和のシンボルであるハトを、初めて食べたのもスラバヤです。また、フル・オーケストラをバックに歌ったのもスラバヤでした。何故フル・オーケストをバックに歌を歌う事になったのか、その時のエピソードを一つ。
25年以上前のインドネシアには、まだカラオケがありませんでした。その当時の国歌的な歌として流行っていたのが、五輪真弓さんの代表的な"恋人よ"でなく、確か"心の友"という歌でした。インドネシアの人は、誰もが知っていました。
ある時、大手のシッパーに夕食を招待され中華レストランへ行ったのです。吹き抜けの3階からなる建物だったと思います。そこで、初めてハトの丸焼きが出てきました。現地では、高級料理です。少し気が引けましたが、元々好奇心が強いので、一口食べてみたところ・・・身は硬く食べるところもあまりないので、あまりおいしくありません。カエルの足のからあげをチリと一緒に食べたほうが余程おいしかったという印象でした。
食事の間、1階ではフル・オーケストラをバックにプロの歌手が歌っており、我々は、3階のフロアで食事をしながら聞いておりました。すると突然、1階の司会者から私にご指名がありました。(どうも、シッパーさんが気を利かせてくれたみたいです)
全く突然のことで、一瞬どうしようかと思いましたが、そこは大和魂か好奇心か、すごすごと下りて行き、日本で慣らした経験を生かすことにしました。日本の歌があるかたずねると、"心の友"、加山雄三さんの"君といつまでも"、谷村新司さんの"昴"があるとのことでした。 フル・オーケストラであればマイウエイか昴だと考え、昴を選びました。
しかし、いざ歌詞カードを見ますと、どうも変です。英語でもなく、インドネシア語でもなく、また日本語でもありません。 ローマ字のようですが、誰かが日本語の歌を聞いてそれをローマ字にしたようです。
さあ、困りました。この続きは、また次回に。
第五回目
2008年5月13日
今回は、インドネシア産コーヒーとのなれそめとバリコーヒーとの出会いについて、私の事をお話をしたいと思います。
今から遡ること27-28年前、軽井沢に仲間と遊びに行って、遅くなったので交通渋滞と称して仕事をズル休みをしました翌日の話です。小生は当時総合商社に勤めており、バドワイザー・ビールの販売担当をしておりました。それが、ひょんな事から突然、コーヒー生豆の輸入並びに国内販売を担当することになったのです。
学生時代からもっぱら紅茶専門でしたので、コーヒー生豆のコの字も知りません。それに加え、ほとんど引継ぎもなく、部下もなし、アシスタントも女性一人のみ。当時は、商社といっても今のようなメール・テレックスといった通信手段もなく、インターネットで快適に情報を得るなんて事も出来ませんでしたから、仕事を進めるにはとても厳しい状態でした。さらに、コーヒー市場も輸入の自由化が始まったばかりの初期段階でしたので、輸入されるコーヒーの種類も限られていたのです。
そんな折、上司より紹介を受けました。白髪のお年をめされた方で、名前は確か伊藤さんです。何でも、戦時中にインドネシアに派遣され、終戦後内地に帰国した際、伊藤さんの知り合いであるダリョウーノさんという方がコーヒーの農園を共同経営していたので、現在はその仲介を行っているとのことでした。
取り扱っているのは、インドネシアのスラバヤでとれるロブスタ種というコーヒーです。ロブスタ種はアラビカ種に比べ価格が安く、よりクロロゲン酸が含まれております。ロブスタコーヒーは、主にボディ・苦味をつけるのに使用されます。ちなみに、現地の農園主の代表であるダリョウーノさんは7つのコーヒー農園を経営されており、後に、インドネシアコーヒー協会(通常、AEKIと言います)の会長をされていた方です。
私は伊藤さんからコーヒー生豆のサンプルを入手し、道具や銀杏用の両面網を使って自宅でガス火で焙煎し、見様見真似でカップテストをしましたが・・・まったく、おいしくありません。しかし値段は安く、煎りあがりもまあまあきれいです。インドネシア産のロブスタコーヒーは、アイスコーヒーなどにかかせないのか生豆問屋さんより引き合いも多く、伊藤さんを通じ買い付けの仲介をお願いしました。交信手段は、KDDIからの電報です。売買が成立するのに、往復最低一週間かかりました。いい時代でした。生来よりの身軽さ、そして若さとちょっとした工夫、何より周りにいてくれた皆さんに助けられ、まったくの素人だった私が、みるみるうちに販売量が増えいったのです。
口八丁手八丁にいっても現場を知らないと話が出来ないので、年に数回インドネシアに行き、飛び込みで知らないシッパーを数多く訪問しました。その頃には、コーヒー生豆について少しは知識もつき、交信手段は電報からテレックスの時代に変化し、伊藤さんとのやり取りは少なくなっていきました。
その代わり、現地で知り合った輸出業者との直接取引が主になりました。その中でも、インドネシアのスラバヤで最大手の一つである輸出業者のマネージャーをしていたのが、ハリムさんです。実はハリムさん、今回バリ島でコーヒー苗木の栽培にあたるパートナーなんです。人柄は温厚で、バスケットで鍛えた体は凄くしなやか。20数年経っても変わりません。
では、なぜインドネシアのスラバヤでなくバリ島でコーヒーの苗木の栽培を始めたのでしょうか。そのお話はまた次回に。
第四回目
2008年4月10日
コーヒー漫遊記の第四回目は、何故ティピカ種・ブルボン種の原種をバリ島並びに雲南省のバオシャン地区に植えることにしたのか、ご説明をしたいと思います。
第一回目の漫遊記で申し上げましたが、いいコーヒーの生産地は、南北回帰線の間(赤道を挟んで南北25度)、俗に言うコーヒーベルトが理想とされております。
また、標高が1,000-1,200メートルの地域で栽培されるのが最も日本の消費者のマイルド指向の味覚に合っていると言えるでしょう。そういったコーヒーとしての理想的な気候風土に加え、3Cプロジェクトの趣旨として、将来的にメンバーの皆さんと共に現地の農園に出向き、各メンバー様自らの手で、ご自身のコーヒーの木から赤く熟した豆のみを手摘みしていただければ、この上のない喜びです。
その為には、まず治安がいいこと、そしてリゾート地であることが必須であると考えます(私の好きなブラジル・コロンビア・ガテマラといったところは、以前と比べかなり治安が悪化しております)。また、おいしいローカル料理、風光明媚な名所・旧跡が兼ね備えていることも大事です。その観点では、インドネシアでも有名なリゾート地であるバリ島、日本とルーツを同じくして、食文化・風習がいまだに似ており、北京・上海といった大都会の喧騒とは程遠く、一年中常春の気候で農産物の宝庫といわれる雲南省は、我々の趣旨に、まさにピッタリの場所と確信致します。
毎年、収穫時期を楽しみにして頂き、現地にご夫婦または単独で私共が企画する収穫ツアーに参加していただき、一~二日は観光、のんびりエステ、あるいはすばらしいゴルフコースでのプレイおよびレッスンで楽しんで頂いた後、いよいよ本番は皆さんでご自分のコーヒーの木から実を摘んでいただきたいと思っています。
参考までに、バリ島には農園から近くの海抜1,142mの避暑地にあり世界のベスト50に数えられる“ハンダラ廣済堂カントリークラブ”があります。雲南省の昆明には、中国一あるいはアジア一と云われるスプリングシティゴルフ&レイクリゾートのロバート・トレント・ジョーンズJr設計のレイクコースとジャック・二クラウス設計のマウンテンコースがあり、海抜2,000mでのショットは、ドラコン日本一になったような気分にさせられます。
従来の会社組織による職縁関係と離れて、コーヒー苗木の栽培を介して横のコミュニティーができ、わが子としてのコーヒーを育て植樹をする事によって”ちょっとエコ”にも貢献し、また、比較的貧しい農家を支援できればと思っています。
次回は、バリコーヒーならびにインドネシア産コーヒーとのなれそめについて、もう少し詳しくご説明をしましょう!
第三回目
2008年3月25日
コーヒー漫遊記第三回目。前回、おいしいコーヒーの選び方についてはまず品種で選ぶこと、そしてその中でも特にティピカ種とブルボン種のコーヒーをオススメしました。今回は、この二種が何故おいしい味なのかをご説明します。
コーヒーの味の良し悪しは、基本的に4つの要素で決まります。Aroma(香り)、Flavour(フレーバー、テースト)、Acidity(酸味)Body(コク)です。この4つの要素のバランスが取れているものが良いコーヒーであると言えます。しかし国によって、あるいは食事内容により、このバランスは微妙に違ってくるのです。
例えば、世界最大の消費国であるアメリカでは従来、大きいマグカップでガブガブ飲めるような酸味・コクの少ない軽めの「アメリカン」が好まれました。そして現在ではシアトル系が主流となりコーヒーそのものは酸味の強いコーヒーを深煎りし、ミルクとの絶妙なマッチングがなされた「Latte(ラテ)」が主流となっています。一般的にアメリカ人は甘いものが大好きです。ストレートでは、苦すぎますね。一方、消費国二位のドイツでは、ソーセージ、ローストビーフ、ポテトなどを主にした食事が多く、酸味の強い「ケニア・ウオッシュドモカ」が好まれます。
ところで、消費国三位の日本はどうでしょう。主食である白米、味噌汁、魚、刺身、新鮮野菜といったナチュラルな食べ物には、よりマイルドなコーヒーが好まれる傾向にあります。
このように国によって、食事内容によって嗜好は異なるため、シングル・ビーンズがどの国にも好まれるとは言えません。しかしながら、シングル・ビーンズの中でも今や幻の品種となりつつあるティピカ種・ブルボン種の生豆は、どんな料理にも相性が良く、上で述べた四つの要素のバランスがうまくとれており「おいしい」と感じられるものになっています。有名なコーヒーのブランドで、おいしいと感じるものは人の技術力を別に考えるとすれば、大半はこの品種をルーツにしているほどです。
近年では効率が先立ち、手入れの面で手間がかからないよう背丈は1.5メートル以下にするなど各種の品種改良が進んでいます。また、収穫量が多く病害虫に強いカツーラ種・カツアイ種が主流になりつつあります。3C(コーヒーチェリークラブ)プロジェクトでは皆さんに希少価値のあるおいしいコーヒーを飲んでいただけるよう、また、環境保全も考慮した上でも植樹は背丈が高くなるティピカ種・ブルボン種を対象にしました。
3C(コーヒーチェリークラブ)ではコーヒーの木の栽培をするにあたりバリ島と雲南省のロケーションを候補にしておりますが、それはなぜでしょう!詳細は、次回にご説明しますね。
第二回目
2008年3月7日
コーヒー漫遊記第二回目からはおいしいコーヒーの選び方・楽しみ方についてお話します。今回はシングルビーンズについて。
皆さんはコーヒーを選ぶ際何を重視して選ぶでしょうか。コーヒーについて熟知されている方はこだわりがあると思いますが、初心者の方の多くはまず有名なブランドを選ばれると思います。ブルーマウンテン・キリマンジャロ・モカ・マンダリン、コロンビアなどですね。
しかし、ブランドだからと言って必ずしもおいしいとは限らないのをご存知ですか?例えば、ルイヴィトン、セリーヌ、グッチ、エルメスなどは各メーカーの特定ブランド名です。しかし、嗜好品で消費財であるコーヒーのブランド名は主に生産国または地名などで呼ばれ、有名なブランドも、そのグレード・作り手によって味は大きく変わります。さらに各国でコーヒー豆の風味やグレード基準が異なるため、グレードは各生産国内での格付けとなるため、結局どのコーヒーを選べば良いのか迷ってしまいますね。
そこで、見分け方のポイントとしてコーヒーの木の品種で選ぶ方法があります。改良を重ね様々な品種が開発されていますが、まずはコーヒーの二大原種であるティピカ種やブルボン種のコーヒーを選んでみましょう。ブドウの品種でワインを選ぶのとそれは似ています。赤ワインならばカベルネ・ソーヴィニヨン(カリフォルニアではジン・ファンデルが手頃でいい)や白ワインならばシャルドネといった風に。
それでは、ティピカ種・ブルボン種のコーヒーは何故おいしいのでしょう!理由については、次回ご説明したいと思います。
第一回目
2008年1月23日
小生、コーヒーに携わり数十年、その間世界各地を訪問し知りえた経験と不確かな知識と記憶で、真面目な話から本には書いていないことを、思いつくままに綴って見たいと思います。
第一回目は、真面目な話しから。日本では、コーヒー豆が出来ますか?我が家にも、一本コーヒーの木がありますが、花も咲かなければ、実も付きません。基本的には、コーヒーの栽培に適するところは、赤道を挟み南北回帰線(北緯25度と南緯25度、通常コーヒーベルト)の間と云われております。従い、日本では、一部沖縄とか伊豆あたりで栽培されている話を聞きますが、コーヒーの実を沢山収穫することは、難しいといえますコーヒーは、植物学的にはアカネ科コーヒー属に属した常緑樹です。真っ白な花が咲き、楕円状の丸い実をつけます。花は、ジャスミンのような香りを放ち、実は最初緑色から黄色に変化し、レッドチェリーといわれる赤い実になって完熟豆となります。
いいコーヒーの秘訣は、如何に赤い実だけを摘み取るかによります。コーヒーの生豆は、一般的に英語でGreen Beansといわれる所以は、実の中のコーヒー豆が緑色をしているからです。皆さんが、イメージされている茶色は焙煎豆のことです。コーヒーの生豆は、赤い完熟豆の中に通常二粒が向かい合わせになっています。たまに、コーヒーの枝先に出来る豆で、一粒しかできないものがあります。これを、ピーベリー豆といって、養分が凝縮されおししく珍重されています。
次回は、何故コーヒー・チェリー・クラブの苗木をバリーと雲南省のコーヒーにしたのかを説明したいと思います。
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